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フォトグラフ
大山 (1) 大山 (静止画:960×680)
大山寺下の駐車場から望む大山です。GWですがまだ大山には雪が残っていました。伯耆富士(ほうきふじ)と呼ばれる大山を走るのも、これで3回目となりました。
古くは出雲風土記で、「大神岳」や「火神岳」と記され、「大いなる神の在ます山」として人々に崇敬されてきた山であり、国引き神話にも登場した山でもあります。今では土地の代わりに多くの参拝者や山ガールなどを集めているようです。
(2) 大山寺 (静止画:960×630)
大山寺の本堂です。思ったより小さいというのが正直な感想です。ところがこの大山寺本堂、実は明治になってからのものだったんですね。
大山寺の起源は奈良時代までさかのぼる古くより山岳信仰の霊場だったそうで、最盛期には100を超える寺院を抱え権勢を誇ったそうです。しかし明治の神仏分離により衰退してしまいました。というのも実はこの時までの本堂は今の大神山神社だったのですが、神社とお寺を分けることを強制され、しかたなくお寺の本堂を大日堂だった現在の場所に移してしまったためだとか。
確かに大神山神社の方がはるかに立派ですし、昔の大山寺を忍ぶなら、大神山神社の方に行くべきでしょうね。
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大山道路1 (3) 大山道路1 (静止画:960×720)
大山寺前から米子市内に続く県道24号、通称、大山道路は私の好きな道路のひとつです。松並木と自然林に囲まれた、直線が続く視界のよい幅広い道路で、四季折々にさまざまな表情をみせてくれます。ライダーには、ここはぜひ一度は走ってみてもらいたい場所です。
道も広くてコーナーもきつくないですから、特に大排気量を少し持て余し気味の初心者でも楽しめるいいコースです。
(4) 大山道路2 (動画:4分30秒)
上の大山道路を、こちらでは動画でどうぞ。
県道36号との交差点付近から、大山寺の駐車場までを走行しています。
大山道路2
県道45→158号線 (5) 県道45→158号線 (動画:9分59秒)
大山へ登る道は上の大山道路が一番メジャーですが、県道45号線から登るのも結構便利なルートです。道路もよく整備されていますし、なにより米子自動車道路から完全に直結していますから。
この道路から見る大山は荘厳で、古くから修験の山として信仰されていた理由がなんとなくわかる気がします。
(6) 境水道大橋 (静止画:960×600)
ここからはツーリング二日目です。まずは米子市内から美保関に向かいました。
画像は境港と美保関を結ぶ境水道大橋です。境水道に架かる長さ709m、高さ40mの大橋で、アーチが少しユニークな形をしています。これは下を高い船舶が通れるようにとの工夫なのでしょうか。
そして意外と思うのは、実はこの橋が県境ということ。橋の向こうは境港市、鳥取県ですが、画像を写した美保関側は、島根県です。こんな複雑な県境になっているのには、何か歴史的な背景がある気がするのですが、どうなんでしょうかね。いろいろと背景があるような気がします。
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Thumnail (7) 美保関灯台 (静止画:720×840)
日本に「白亜の灯台」と呼ばれる灯台がかなりありますが、この美保関と西に対する日御碕灯台もそのひとつです。美保関は少し小振りな灯台ですが、これはこれでなかなか綺麗な灯台です。山陰最古の石造灯台として、歴史的価値が高い灯台だそうです。
ところで地名も灯台も美保関なのに、岬の名前は地蔵崎なのはなぜなんでしょうかねぇ?
(8) 地蔵崎(県道2号線) (動画:1分59秒)
美保神社から美保関灯台を結ぶ県道2号線です。右に美保湾を望みながら、気持ちよいワィンディングが続くルートです。
地蔵崎(県道2号線)
Thumnail (9) 美保神社 (静止画:920×620)
美保神社にも参拝してきました。ここは全国のゑびす神社の総本山であるそうです。ちなみにゑびす様って大国主神の第一子である事代主神(ことしろぬしのかみ)のことであり、鯛を抱え釣り竿をもっていることからわかるように、漁業、商業の神様であります。
ところでえびすを漢字変換してみると、恵比寿、恵比須、恵飛須、惠比壽、恵美須、蛭子、夷子、蝦夷、胡子、戎、夷、胡・・・と出てきました。いやぁ「えびす」にこんなに漢字があてられているとは、いまさらながら驚いてしまいました。ご存じだったでしょうか?
そして美保神社は出雲大社とあわせて「出雲のゑびすだいこく」と総称されるそうで、ツーリングマップルには「出雲大社と両方回れば縁起の良い両参り」とあります。今回両方を参ってきたのですが、さてさてご利益は期待できるのでしょうか?
(10) 美保神社の巫女舞 (静止画:760×760)
その美保神社ですが、ちょうど参拝していたときに神職による祝詞口上と、巫女による舞が行われていました。
巫女さんといえばそちらの方面ではメイド、看護婦さんと並んで圧倒的支持を受けていますし、アニメや活字では巫女舞なんてよく出てくるシチュなんですが、実際に巫女舞を見るコトなんてそうそうありませんよね。ここで巫女さんの優雅な舞が見れたことだけは、少し幸運のコトでしたね。
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Thumnail (11) 青石畳通り (静止画:960×680)
美保神社の参道のすぐ傍らにある青石畳通りです。一見の雰囲気はとてもいいのですが・・・・、並んでいるお店の中を覗いてみると、少しがっかりな感じでした。
調べてみると昔はそれなりに賑わった通りだったようですが、ほんとに昔日の何とやらいう感じで、もうちょっと何とかならないんですかねぇ。
(12) 中海 (静止画:960×580)
霞む中海、森山堤防(県道338号)からの撮影です。天気は曇りで決して雨が降っていたわけでないのですが、汽水域という特殊な地域だからでしょうか、対岸が見えないほど霧が出ていました。霧に包まれる中海は、神話を舞台としてぴったりなほど、ひどく幻想的に見えます。
ところでここは昭和時代の計画によると一面の干拓地になっているはずだったのですが、喧々囂々、紆余曲折の果てに、結局計画は中止になってしまいましたね。まあその結論は、よかったことだと思いますよ。いまさら水田を増やしてもという状況ですしね。
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県道338号線 (13) 県道338号線(森山堤防) (動画:4分42秒)
中海を干拓するために作られた堤防(森山堤防)の上を走る県道338号線です。もともとが堤防ですから、起伏のない直線がつづく道路です。天気がよければ、中海の景観が楽しめるルートだったのですが、この日は上の画像のように遠くを見渡すには不向きな天気でした。
(14) 美保関八束松江線 (動画:2分00秒)
中海の干拓予定地の南側、大根島と半島を繋ぐ美保関八束松江線です。ここは20年ぐらい前は、堤防の上の長い直線道路としてライダーには有名だったのですが、今ではそうでもなくなりましたね。最近はすっかりと地域の主要道路で、車の往来も多くなっていました。
美保関八束松江線
Thumnail (15) 矢田の渡し (静止画:920×600)
矢田の渡しの乗船口です。十数年前に一度対岸側を訪れたことがあるのですが、今回は半島側の方を訪ねてみました。
車の普及でこういう渡船はなくなるものと思っていましたが、全国で結構残っているものなんですよね。生活の足として、重宝されているようです。
ただ情報によると近くに橋ができ、そのために補助金がなくなるため、この渡し船は廃止になるとのこと。私が次にここを訪れるときには、たぶんもうなくなっているのでしょう。
(16) 黄泉比良坂 (静止画:960×640)
前回訪れたときに看板は見かけて気になっていたので、今回行ってみた黄泉比良坂(よもつひらさか)です。
最初は眉唾ものの場所かと思っていたのですが、これがなんとそこそこに由緒正しい場所なようです。だとしたら、今の状況はかなりもったいない感じがしますね。もうちょっと売り出してもいいかと思います。ちなみに画像の左端に写っている大石が、死者の国を塞いだ大岩だそうです。
ところで黄泉比良坂を調べていると、神話時代においては黄泉≠根の堅洲國(=根の国)であり、死者の国は決して地下の国をさしていなかったという話がありました。当時は死者の国は生者と同じ地面の上にあると考えられていたようだと。これはこれで、いろいろと想像を膨らませる説だと思いませんか。
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Thumnail (17) 神魂(かもす)神社 (静止画:960×640)
日本最古の大社造りの社をもつ神魂(かもす)神社です。9年前に来たときは知る人ぞ知る場所だったのですが、今ではかなり有名な場所になってしまい、少ないながらも参拝客が途絶えない観光地になってしまいました。これがいいことなのか悪いことなのか、ちょっと迷うところですね。
以前より気になっていた「かもす」という呼び方ですが、ある説によると、「神の鎮り坐す所」=「神坐所(カンマス)」→「カモス」となったということです。ちなみに全国から神様が出雲に集まる神在月(10月)ですが、11日〜18日は神様達はこの神魂神社に訪れているとのこと。その間にお参りすると、ご利益が違うのでしょうか?
(18) 八重垣神社 (静止画:940×680)
この十数年で一番大きく状況が変わったのが、この八重垣神社ではないでしょうか。十数年前は場所もわかりにくく、訪れる観光客もまばらだったのに、今では道も整備され、大型バスで観光客がやってくるちょっとした観光地になってしまいました。特に女性には出雲大社と並ぶ人気パワースポットだそうです。その分、私みたいなむさい男は近づきにくくなってしまいました。まあ参拝客も増えて、櫛稲田姫(奇稲田姫あるいは稲田比売命)さまも嬉しいやら大変やらでしょうね。
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Thumnail (19) 熊野大社 (静止画:960×590)
出雲國風土記や延喜式神名帳に記されていたという歴史ある神社の熊野大社です。出雲大社と共に出雲国一宮となっており、古来より朝廷および庶民の信仰を集めた神社だそうです。ただ現在の集客力では、出雲神社に一歩、二歩出遅れた感はしますが。
ちなみに紀伊半島の熊野三社は、@三社がここから勧請された Aまったくの別系統 の二つの説があるそうですが、個人的にはこちらの方が元宮のような感じがしましたね。
(20) さざれ石 (静止画:880×620)
その熊野大社の駐車場の傍らに置かれてあったのが、一見するとただの堆積岩の塊としか見えないのですが、なんとあの「君が代」のさざれ石だそうです。(本物か??)
ということで調べてみると、全国に「さざれ石」と呼ばれるものは100個以上あり、有名なところでは出雲大社や鶴岡八幡宮にもあるようですね。だからまあこれも、そのうちのひとつだということです。
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Thumnail (21) 須我神社 (静止画:900×660)
出雲地方の神社の中で、個人的に最も気に入っているのがこの須我神社です。近くに非常によく似た名前の須賀神社があり、こちらの方が有名なのですが、そことは違いますのでぜひとも間違えないように。
あくまで「八雲立つ・・・」を歌った和歌発祥の地、日本初之宮(にほんはつのみや)はこの須我神社です。古事記、日本書紀に「須賀宮(すがのみや)」と記載されている古社であります。次に出雲を訪れるときも、きっとここは外さないでしょうね。
(22) 出雲玉作跡 (静止画:880×660)
ツーリングマップルに小さく記載されていたのに興味を持って行ってみたのですが、なんとまあ、何にもないところでした。道路脇に古びた白木の目印と、少し真新しい説明板だけ。これで国の指定史跡というのですから、ちょっと悲しい感じがしました。実際の玉造の跡は休耕田と草原と雑木林になっていて、とても重要な文化財があるところとは思えませんでしたね。
のちに玉造に関する資料は宮垣地区の出雲玉作史跡公園の方に集約されているようで、それ以外の地区は標識があるだけというのがわかりましたが、その公園はいまひとつ興味がわくような感じではありませんでした。なんかそちらは箱モノって感じが強くてねぇ。
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Thumnail (23) 出雲大社 入口 (静止画:960×600)
全国の八百万の神々の総元締めとなる出雲大社の入り口です。ここから先は徒歩で行くのですが、御仮殿、仮拝殿までの参道は約700mほどあり、きれいに整備された松林の中を通っていきます。ちなみにこの参道を歩かずに参る手段もいくつかあるのですが、どうせお参りに来たのなら、途中の松林の美しさをぜひ楽しむべきでしょう。
(24) 出雲大社 御仮殿 (静止画:900×600)
出雲大社は現在、「平成の大遷宮」と呼ばれる大改修が行われていて、本殿とそのまわりはすべて工事用建物で覆われて見ることができません。そしてこの間、本殿に神様もいることができないので、この御仮殿(おかりでん)に仮住まいされているそうです。ということで、工事の終わる2013年まではこの御仮殿にお参りします。
私も旅の無事を祈って、ここにお参りしました。
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Thumnail (25) 出雲そば (静止画:920×620)
出雲大社にお参りした後は、お決まりの出雲そばを食べに行きました。今回は新しいお店を開拓しようと思って大社のまわりを巡ったものの、混んでいるかおいしくなさそうかのどちらかで、いまひとつでした。仕方ないので9年前と同じ大社裏のお店に入って、割子そばの5段を注文。そしてここのお蕎麦は、やはり昔と変わらずとても美味しかったです。
ところで出雲での割子そばの由緒正しい食べ方は、最初の段にかけたお汁を順々に次の段にかけて食べるというもの。今回実際にやってみましたが、これも微妙なところですね。お椀からお汁をうまく移すのが、結構難しかったりします。それと最後のそば湯を飲むときに、お汁が少し少なめになってしまうのもちょっと不満なところでした。
(26) 小泉八雲旧居 (静止画:940×640)
ここからは三日目になります。
松江市内のホテルを出発して、まず立ち寄ったのが市内の小泉八雲旧居と小泉八雲記念館でした。実は小泉八雲がこの松江に住んでいた期間というのは意外と短く、東京や熊本、神戸にも住んでいたのですが、松江を舞台にした著物が多かったことから、小泉八雲=松江というイメージができたようです。
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Thumnail (27) 三次物怪でこ街道1 (静止画:940×660)
某マンガに影響されてここ数年で一度行ってみたいと思っていたのが、霧の海と妖怪の街、三次でした。ということで、今回のツーリングでは早めに山陰を出発し、途中で三次に寄ることにしたのです。その某マンガで舞台に使われているのが、上市・太才通りから三次本通り、通称「いにしえの里三次物怪(もののけ)でこ街道」と呼ばれるあたり。
ここは画像でみるように江戸後期の町屋が残されていて、そこをきれいな石畳の通りに変えて保存しています。この町屋で特徴的なのが、卯建(うだつ)と袖壁と鏝絵(こてえ)です。特に(個人的に)珍しかったのが袖壁で、いうなれば昔の商店の看板みたいなものです。なかなか味わい深いですから、ちょっと探してみてはどうでしょうか。
(28) 三次物怪でこ街道2 (静止画:880×660)
物怪でこ街道の南口近くにある、この通りでも最もいい感じの商家です。調べてみると約百年前の元薬屋だった家で、今は三次人形を展示している「みよし本通り人形館」とのことです。
ところでツーリングから帰っていろいろ調べてみたのですが、この三次には「稲生物怪録(いのうもののけろく)」という、全国的にも有名な妖怪奇譚があるそうです。某マンガも、これに影響を受けているところもありそうで、ちょっと気になる物語です。
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マップ
Map
 
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◆◆◆ ツーリング・メモ ◆◆◆

日 付 2011年 5月 2日(月) 〜 4日(水)
ルート 大山〜米子〜出雲〜松江〜三次
走行距離 1150km
マシン HONDA VTR1000F - Fire Storm -
旅行者 LUNATIC
 
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