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フォトグラフ
吹屋1 吹屋2 吹屋3 吹屋4
spacer(1) 吹 屋 (静止画:920×720,1000×680,920×720,900×750)
ベンガラ(弁柄あるいは紅殻)と石州瓦で有名な吹屋の町並みです。ここ数年で特に知られるようになり、TVや雑誌なんかでもよく見かけるようになりました。文化庁から国の重要伝統的建造物群保存地区の認定を受けています。もともとは江戸時代中期から続く吹屋銅山の鉱山町だったのですが、幕末頃からはベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の産地として繁栄したそうです。
町としてはそれほど広いわけではなく、さらに本当に山の中にぽつんと町があって、昔話に出てくる山里というのがぴったりくるようなところで、いい感じの場所でした。逢魔が時に路地をのぞくとそこに妖怪が・・・、なんてのがありそうないい雰囲気の町でした。
吹屋(動画) (2) 吹 屋(動画) (動画:15分19秒)
吹屋の町中は意外にも車両通行可だったので、ちょっとバイクを乗り入れ撮影してみました。走った距離をみれば気づくと思いますが、本当に小さな町です。通りのほとんどの家屋がベンガラで塗られており、朱一色であるのがわかるでしょうか。
ところでここは人気の観光地ですから、やはり通りには多くの観光客が歩いていました。だから車両通行可とはいえ、安全運転で走行したのはもちろんです。
(3) 吹屋小学校 (静止画:1080×600)
吹屋の町のちょっと高台にある、吹屋小学校です。実はここ、私が訪ねる一ヶ月前の3月31日までは現役として使われていたそうで、その後廃校となりました。なおこの後は一度解体され、6年後をめどに復元して資料館として開かれる予定なのですが、おそらくそれまではこうやって見ることはできなくなるだろうと思います。そういう意味では、こうやって見物できたのは非常に幸運でした。
この吹屋小学校は開校が明治6年(1873年)で、西校舎、東校舎が明治33年(1900年)に完成。本館が明治42年(1909年)の完成であり、去年までは現役の木造校舎として国内最古だったそうです。
さすがに100年以上使われた校舎は、時の重みを感じさせる風格がありますね。ただここで学んだ生徒は、ある意味とても大変だったと思います。ちょっと同情。(^_^)
吹屋小学校
広兼邸 (4) 広兼邸 (静止画:1080×500)
映画「八つ墓村」の舞台として有名になった広兼邸です。この石積みをみると邸宅というより、お城といった方が合っている感じではありますが。
江戸時代後期に銅山と緑礬(ローハ、ベンガラの原料)で財産を築いた庄屋広兼家が、文化10年(1810年)に作った大邸宅です。なぜ平地ではなく山の斜面にわざわざこのような大邸宅を作ったのが疑問ですし、またなぜまわりに何もないこんな山の中に大邸宅を造ったのかも疑問です。山の中に孤立してポツンとある豪邸っていう、まるで小説か映画の中でしかないようなものが実際にあることが驚きでした。
(5) 石火矢町ふるさと村 (静止画:960×720,1000×680)
石火矢町ふるさと村は、江戸時代の初期、備中松山藩時代に家臣の屋敷地として整備されたのが始まりとされ、今でも格式ある門構えの武家屋敷が残っている通りです。
武家屋敷の門構えと土塀が続くいい雰囲気の通りではあるのですが、ただ惜しいのはその長さが250m程度しかないこと。全国各地に武家屋敷があるのですが、250mというのはかなり短い部類でしょう。歩いてみてもほんのちょっとです。できればこの3倍ぐらい残っているとよかったのですがね。
石火矢町ふるさと村1 石火矢町ふるさと村2
総社宮1 総社宮2 (6) 總社宮 (静止画:960×650,1080×630)
一般的には総社宮と書かれていますが、正式には總社であるそうです。また他の総社と区別するため、備中(あるいは備中国)総社とも呼ばれています。
総社とはもともと平安時代、地方に赴いた国司が赴任国内の全ての神社を巡って参拝することをズルするため、逆に国内の神社を国府の近くの一カ所に集めたものだそうです。だから全国に総社と呼ばれる神社があったそうなのですが、今ではほとんどが廃れているそうです。
ただ備中の總社宮はその中でも現在までその姿を残す、数少ない神社です。
倉敷美観地区1 (7) 倉敷美観地区 (静止画:1080×660,960×720,1000×680,1000×680,720×900)
いまや倉敷の顔となってしまった「倉敷美観地区」です。倉敷といったら、まずここでしょう。
あまりにも有名な観光地ですから私のつたない説明など不要だと思いますので、ただ画像を見ていただければいいです。よかったことは朝早めに行ったので、観光客が少なかったことですね。私が帰る頃には、かなり観光客も増えてきていましたが。
倉敷美観地区2 倉敷美観地区3 倉敷美観地区4 倉敷美観地区5
(8) 矢掛町 (静止画:960×720,680×1000)
矢掛町は旧山陽道の宿場町地として繁栄した町でした。
左側の画像は、その矢掛町の旧矢掛本陣石井家です。江戸時代末期には、かの天璋院篤姫が泊まったという由緒ある建物です。また右側の画像は、やかげ郷土美術館に併設されている高さ16mの水見やぐらです。これは観光用の施設ですが、江戸時代には小田川の氾濫を監視するため、水楼や物観などの施設が作られていたそうで、それらに因んで作られたものだそうです。
矢掛町1 矢掛町2
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マップ
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◆◆◆ ツーリング・メモ ◆◆◆

日 付 2012年 10月 6日(土) 〜 7日(日)
ルート 吹屋〜倉敷〜矢掛
走行距離 976km
マシン HONDA VTR1000F - Fire Storm -
旅行者 LUNATIC
 
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